物価に連動する債務や収入を持つ者が、物価の上昇のリスクを管理する場面で、インフレ・スワップが出てきます。債務を負う年金基金や保険会社と、収入を持つ事業会社が、取引の当事者になります。
物価の上昇率と固定の率の交換
インフレ・スワップは、決めた想定元本と期間について、一方が固定の率による金額を払い、もう一方が物価の上昇率に連動する金額を払うスワップです1。物価の上昇率を測るのには、消費者物価指数(CPI)などの物価指数を使います。固定の率は、取引を結ぶ時点で取引の価値が 0 になるように市場で決まります。そのため、取引の開始時には受け払いがありません1。スワップの一般の形はスワップの基本構造で扱います。
以下では、固定の率による金額を払い、物価に連動する金額を受け取る側を「物価連動の受け手」と呼びます1。物価に連動する金額を払い、固定の率による金額を受け取る側は「物価連動の払い手」です1。C 社が B 銀行と次のインフレ・スワップを結ぶ架空の例で考えます。C 社は物価連動の払い手です。
| 決めること | この例 |
|---|---|
| 物価連動の払い手(固定の率で受け取る側) | C 社 |
| 物価連動の受け手(固定の率で払う側) | B 銀行 |
| 想定元本 | 100 億円 |
| 期間 | 5 年 |
| 固定の率 | 年 2% |
| 受け払いの時点 | 5 年後の満期に 1 回(ゼロクーポン型) |
| 開始時の物価指数 | 100 |
満期に 1 回だけ受け払うゼロクーポン型
ゼロクーポン型は、満期に 1 回だけ受け払いをするインフレ・スワップです。2013 年のニューヨーク連邦準備銀行の資料によると、米国の市場ではもっとも多く取引される形でした2。物価連動の払い手は、想定元本に期間全体の物価の上昇率を掛けた額を払います。物価連動の受け手は、想定元本に、固定の率を期間の年数だけ複利にした率を掛けた額を払います2。
例の取引では、固定の側の額は、1.02 を 5 回掛けた約 1.1041 から 1 を引いた率を 100 億円に掛けた、約 10 億 4,081 万円です3。物価に連動する側の額は、5 年後の指数で決まります。指数が 100 から 115 に上がれば、物価の上昇率は 15% で、額は 15 億円です。指数が 105 までしか上がらなければ、上昇率は 5% で、額は 5 億円です。
| C 社の満期の受け払い | 指数が 115 に上がった場合 | 指数が 105 に上がった場合 |
|---|---|---|
| 固定の側(受け取り) | +10 億 4,081 万円 | +10 億 4,081 万円 |
| 物価に連動する側(支払い) | −15 億円 | −5 億円 |
| 差し引き | −4 億 5,919 万円 | +5 億 4,081 万円 |
実際には 2 つの額を差し引きし、差額だけを一方が払います。想定元本の 100 億円は、開始時にも満期にも受け渡しません2。指数が 115 に上がった場合は C 社が B 銀行に約 4 億 5,919 万円を払い、105 に上がった場合は B 銀行が C 社に約 5 億 4,081 万円を払います。
図の説明
想定元本 100 億円、期間 5 年、固定の率 年 2% のゼロクーポン型のインフレ・スワップで、物価連動の払い手の C 社の受け払いです。取引の開始時には受け払いはありません。5 年後に物価指数が 100 から 115 に上がった場合、C 社は固定の側の約 10 億 4,081 万円を B 銀行から受け取り、物価に連動する側の 15 億円を B 銀行に払います。実際には差額の約 4 億 5,919 万円だけを C 社が B 銀行に払います。矢印の長さは金額の大きさの目安です。B 銀行の受け払いは C 社と向きが逆です。
2 つの額が等しくなるのは、物価が期間の平均で固定の率と同じ年 2% ずつ複利で上がったときです。そのため、ゼロクーポン型の固定の率は、期間の平均の物価の上昇率を市場がどう見ているかを表す値として使われます4。ただし、固定の率には物価の見通しのほかに、先行きが分からないことへの上乗せ(リスク・プレミアム)なども含まれます5。
深掘りゼロクーポン型の受け払いの式
毎年受け払う形
インフレ・スワップには、満期に 1 回だけ受け払う形のほかに、期間中の毎年受け払う形(資料によっては multi-payment 型と呼ばれます)があります6。この形でも、一方が固定の率による金額を払い、もう一方が物価に連動する金額を払う点は、ゼロクーポン型と同じです。
店頭の取引なので、当事者は受け払いの形を求めに合わせて決められ、上限や下限を付けることもあります5。そのなかで、2006 年の英国中央銀行の資料によると、市場で気配値が示される標準の取引はゼロクーポン型でした5。
参照する物価指数と参照の遅れ
インフレ・スワップが参照する物価指数は、通貨ごとに決まっています。多くの場合、季節調整をしない消費者物価指数を使います4。
| 通貨の地域 | 参照する物価指数 |
|---|---|
| 米国 | 都市部の消費者の消費者物価指数(CPI-U) |
| ユーロ圏 | HICP のうち、たばこを除く指数(HICPxT) |
| 英国 | 小売物価指数(RPI) |
| 日本 | 消費者物価指数 |
米国のドル建ての取引が参照する CPI-U は、米国の物価連動国債(TIPS)と同じ指数です1。ユーロ圏では、フランス国債の物価連動債と同じく、ユーロ圏の HICP のたばこを除く指数のほかに、フランスの CPI のたばこを除く指数も使われます7。日本の取引は、消費税率の引き上げの影響を含む消費者物価指数を参照しています8。
物価指数は、その月が終わってから公表されます。日本の全国の消費者物価指数は、原則として翌月の 19 日を含む週の金曜日に前月分が公表されます9。米国の CPI も、ある月の値は翌月の半ばまで分かりません10。そのため、インフレ・スワップは、取引の開始日や満期の日の物価ではなく、それより前の月の指数を使います。米国の取引では、開始日の 3 か月前から満期の日の 3 か月前までの物価の上昇率で受け払いを決めます11。この遅れを、参照の遅れ(ラグ)といいます。物価連動国債の仕組みは物価連動国債と BEIで扱います。
価値が何で変わるか
インフレ・スワップの損益は、実際の物価の上昇率が固定の率を上回るか下回るかで決まります。期間の平均の上昇率が固定の率を上回れば物価連動の受け手が、下回れば物価連動の払い手が、差額を受け取ります。例の取引で、指数が 115 に上がった場合は B 銀行が、105 に上がった場合は C 社が差額を受け取りました。
満期の前でも、物価の見通しが変わると、その時点で新しく結ぶ取引の固定の率が変わります4。見通しが上がると新しい取引の固定の率が上がるため、それより前に結んだ取引は、物価連動の受け手に有利になり、払い手に不利になります。見通しが下がれば逆になります。
何に使われるか
インフレ・スワップは、物価の上昇のリスクを移すのに使われます。物価に連動した支払いの義務を負う年金基金や保険会社は、物価に連動する側を受け取って、物価が上がったときの負担の増加に備えます。公益事業の会社のように、物価に連動する資産や収入を持つ事業者は、物価に連動する側を払って、物価が上がらなかったときの収入の不足に備えます1213。英国では、年金の支払いが小売物価の上昇に連動することが多く、インフレ・スワップの需要の多くを年金基金が占めていました(2006 年の資料による)14。物価の動きを予想して損益を狙う投機や、運用の分散のために物価のリスクを取る者もいます12。
C 社の例で、C 社の収入のうち 100 億円分が、5 年後に物価指数の上昇に合わせて増えるとします。物価指数が 115 に上がれば、収入は 15 億円増えますが、スワップで差し引き約 4 億 5,919 万円を払うので、合わせた増加は約 10 億 4,081 万円です。物価指数が 105 までしか上がらなければ、収入の増加は 5 億円にとどまりますが、スワップで約 5 億 4,081 万円を受け取るので、合わせた増加はやはり約 10 億 4,081 万円です。C 社はスワップで、物価がどちらに動いても、収入の増加を年 2% の複利に当たる額に固めたことになります。その代わり、物価が大きく上がったときの収入の増加は、スワップの支払いで打ち消されます。
物価の上昇のリスクは、物価連動国債を使っても移せます。インフレ・スワップは、満期、想定元本などの条件を取引ごとに決められるため、使う者の求めに細かく合わせられます12。また、物価連動国債の売買では元本の全額を受け渡しますが、インフレ・スワップは満期に差額だけを受け払いします15。
取引の相手のリスクと取引の実務
インフレ・スワップは、取引所を通さない店頭デリバティブです。米国の市場では、大手のディーラーが顧客との取引で気配値を示し、ディーラーどうしは、多くの場合ブローカーを通して取引しています16。
日本でも、2007 年 3 月以降、1 年から 10 年までの年限のインフレ・スワップの率のデータが続けて得られます。ただし、日本のインフレ・スワップの市場は、物価連動国債の市場と比べても取引が活発ではありません17。
店頭の取引なので、当事者は取引の相手が約束どおりに払えなくなるリスク(取引の相手の信用リスク)を負います。ゼロクーポン型では満期まで受け払いがないため、物価が大きく動くと、満期に受け取る差額がふくらみます。このリスクは、担保のやりとりで小さくされるのがふつうです18。
注
-
Fleming and Sporn "Trading Activity and Price Transparency in the Inflation Swap Market"(Federal Reserve Bank of New York, Economic Policy Review, 2013 年 5 月)の 47 ページ、「2. Inflation Swaps」。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
-
Fleming and Sporn(2013 年 5 月)の 47 ページ、「2. Inflation Swaps」と図「Zero-Coupon Inflation Swap Cash Flows (at Maturity)」。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4
-
1.02 を 5 回掛けると 1.10408…で、固定の側の額は 10 億 4,080 万 8,032 円です。本文と表では 1 万円未満を四捨五入しています。 ↩
-
Böninghausen et al. "Interpreting recent developments in market based indicators of longer term inflation expectations"(European Central Bank, Economic Bulletin, Issue 6/2018)の 2 節。 ↩ ↩2 ↩3
-
Hurd and Relleen "New information from inflation swaps and index-linked bonds"(Bank of England, Quarterly Bulletin Spring 2006)の 26 ページ、「Using market rates on inflation swaps」。 ↩ ↩2 ↩3
-
European Central Bank "Deriving euro area inflation expectations from inflation-linked swaps"(Monthly Bulletin, 2003 年 9 月, Box 4)の 31 ページ。資料は、毎年受け払う形を multi-payment I/L swap と呼んでいます。 ↩
-
European Central Bank(2003 年 9 月)の 31 ページ。2003 年 9 月時点の説明です。 ↩
-
平木一浩・平田渉「ブレークイーブン・インフレ率から抽出される日本の市場参加者の長期インフレ予想」(日本銀行ワーキングペーパー、2020 年 9 月)の 7 ページの脚注 8。 ↩
-
総務省統計局「消費者物価指数に関するQ&A(回答)」の C-1。 ↩
-
Diercks et al. "The Swaps Strike Back: Evaluating Expectations of One-Year Inflation"(Board of Governors of the Federal Reserve System, Finance and Economics Discussion Series 2023-061)の 8 ページ。 ↩
-
Fleming and Sporn(2013 年 5 月)の 47 ページの脚注 7。 ↩
-
European Central Bank(2003 年 9 月)の 31 ページ。2002 年のユーロ圏の市場の説明です。 ↩
-
Hurd and Relleen(2006 年春)の 25 ページと、同じ号の 8〜9 ページの囲み「Pension fund valuation and liability driven investment strategies」。 ↩
-
Diercks et al.(2023-061)の 7 ページ。 ↩
-
Fleming and Sporn(2013 年 5 月)の 47 ページ。2013 年 5 月時点の米国の市場の説明です。 ↩
-
平木・平田(2020 年 9 月)の 7〜8 ページ。2020 年 9 月時点の説明です。 ↩
-
European Central Bank(2003 年 9 月)の 31 ページ。2003 年 9 月時点の説明です。 ↩