ESG 連動のデリバティブは、目標の条件を取引確認書に書く法務・契約と、評価や担保の扱いを決めるリスク管理の場面で出てきます。
目標の達成で受け払いが変わる仕組み
ESG 連動のデリバティブでは、環境や社会の目標を達成したかどうかで、スワップの受け払いの一部が増えたり減ったりします。ESG は環境、社会、ガバナンスの頭文字です。目標を測る指標を KPI(重要業績評価指標)、その達成の水準を SPT(サステナビリティ・パフォーマンス・ターゲット)といい、実績が SPT に届いたかで、増減する額が決まります1。
次の架空の例で考えます。変動金利で 100 億円を借りた企業(固定金利の支払側)が、借入の金利を固定するため、銀行と 3 年の金利スワップを結びます。想定元本は借入と同じ 100 億円で、支払側は固定金利 1% を払い、変動金利を受け取ります。スワップの基本は金利スワップで扱います。
ここに、支払側の温室効果ガスの排出量の削減目標に連動する条件を付けます。その年の目標を達成していれば固定金利を 0.05% 引き下げて 0.95% にし、達成していなければ 0.05% 上乗せして 1.05% にします。1 年目と 3 年目は目標を達成し、2 年目は達成しなかったとすると、支払側の固定金利の支払は図 1 のとおりです。
図の説明
想定元本 100 億円のスワップで、固定金利の支払側が払う固定金利だけを描いています。1 年後(達成)は 0.95 億円、2 年後(未達)は 1.05 億円、3 年後(達成)は 0.95 億円を支払います。変動金利の受け取りは描いていません。矢印の長さは金額の大きさの目安です。目標の結果で、支払が調整なしの 1 億円(固定金利 1%)から 0.05 億円ずつ上下することが読み取れます。
調整の額は、1 年分の利息で見ると 100 億円 × 0.05% = 0.05 億円(500 万円)です。目標を達成した年は支払側の支払が 500 万円少なくなり、達成しなかった年は 500 万円多くなります。借入の変動金利の支払は、スワップで受け取る変動金利で打ち消されるため、借入と合わせた実質の負担は、固定金利の部分だけになります。借入の上乗せ金利は別にかかります。
| 目標の結果 | 固定金利 | 固定金利の支払(1 年分、億円) | 調整なし(固定金利 1%)との差(万円) |
|---|---|---|---|
| 達成 | 0.95% | 0.95 | 500 少ない |
| 未達 | 1.05% | 1.05 | 500 多い |
目標と調整の決め方
この節から後の慣行と規制の記述は、法律事務所の解説と当局の報告書にもとづきます。資料の時点は、ESG に関わるデリバティブの種類が 2021 年 1 月、EU の規制と市場の状況が 2021 年 11 月、英国の規制と取引の慣行が 2023 年 5 月です。
目標の中身と、達成したときの調整は、取引ごとに当事者が決めます。KPI の例は、温室効果ガスの排出量の削減と、再生可能エネルギーの使用割合です。実績は、独立した第三者が確かめるか、第三者の格付け会社が付ける ESG 格付けに連動させます2。2019 年の取引の例では、評価会社が採点した ESG の実績に応じて、固定金利のスプレッドを増減させました1。
KPI を適用する相手は、1 つの取引で片方の当事者のことも双方のこともあります1。取引の多くは、ESG への対応を求められる側(バイサイド)と銀行の間で結ばれ、KPI はバイサイド側の実績を測っていました2。
達成したときの調整は、金利の上乗せや割引のほかにも、次の形があります21。
| 調整の形 | 内容 |
|---|---|
| スプレッド | 固定金利に、プラスかマイナスのスプレッドを加える |
| 為替レート | 通貨スワップなどで、目標の結果に応じて有利か不利なレートにする |
| 固定額の支払 | 目標を達成しなければ固定額を払い、達成すれば払わない |
| 寄付 | 目標を達成しなかったときの支払を、持続可能性に取り組む団体への寄付にする |
| 段階 | 達成した KPI の数に応じて、調整の額を段階的に変える |
調整の受け払いの時期は、取引のほかの受け払いに合わせるのが通常でした2。契約は、通常のデリバティブの契約書(ISDA マスター契約など)を土台にし、KPI の条件を取引確認書に書いていました。KPI を別の合意に書いて、取引確認書から参照する形もありました2。
目標に連動させる仕組みは、ローンでは、デリバティブより先に原則が整えられていました3。ローン市場協会(LMA)などの原則は、任意の指針です(2023 年 2 月版)。KPI は借り手の事業に重要で、ほかと比べられるものにし、目標の達成を独立した外部の者が検証することを必要な要素としています4。
ESG に関わるデリバティブの種類
ESG に関わるデリバティブは、ESG 連動のデリバティブだけではありません。ある法律事務所の解説は、次の 6 つを挙げていました5。
| 種類 | 内容 | 詳しいページ |
|---|---|---|
| ESG 連動のデリバティブ | 金利スワップや通貨スワップに、ESG の目標に連動する価格の要素を足す。顧客ごとに作る | 本文で説明 |
| ESG 関連の信用デリバティブ | クレジット・デフォルト・スワップで、気候変動の影響を受けうる取引相手の信用リスクを管理する | CDS インデックス(iTraxx、CDX) |
| ESG 関連の上場デリバティブ | ESG の指数に連動する株価指数先物と株価指数オプションで、ESG の運用のヘッジなどに使う | |
| 排出量取引 | 排出枠や排出量のオフセットを原資産とするデリバティブで、排出量の上限を定めた制度の対象企業が、義務の履行とリスクの管理に使う | |
| 再生可能エネルギーと燃料のデリバティブ | 再生可能エネルギーの生産の変動に対するリスクをヘッジする | |
| 災害と天候のデリバティブ | 特定の自然災害による損失や、予想外の天候によるリスクを和らげる | 天候デリバティブ |
信用デリバティブには、ESG の基準で作った指数で、地域ごとの ESG に関わる企業のリスクを取ったり、ヘッジしたりするものもあります5。
経緯と市場の状況
2019 年に取引の例が出てから、2023 年にかけての主な出来事は次のとおりです。
| 日付 | 当事者 | 出来事 |
|---|---|---|
| 2019 年 8 月 | ING、SBM Offshore | 10 億米ドル・5 年の変動金利のリボルビング・クレジット・ファシリティ(与信枠)の金利リスクをヘッジするデリバティブを結んだ1 |
| 2020 年 | Enel、JP モルガン | 2020 年に発行した 5 億英ポンドのサステナビリティ・リンク債の為替と金利のリスクを、通貨スワップでヘッジした1 |
| 2021 年 9 月 7 日 | 国際スワップ・デリバティブズ協会(ISDA) | KPI の作り方の指針を公表した3 |
| 2022 年 10 月 | 英国金融行為監督機構(FCA) | デリバティブに特化した規則は作らない意向と、透明性を高める指針を設ける方針を示した6 |
| 2023 年 5 月 31 日 | 欧州証券市場監督局(ESMA) | グリーンウォッシュの進捗報告書で、ESG の特徴を持つデリバティブなどの新しい商品が、主張を確かめる難しさを増すおそれを指摘した7 |
2019 年 8 月の取引では、固定金利に、ESG の実績の採点に応じてプラスかマイナスのスプレッドを加えました。2020 年の取引では、どちらかの側が環境の目標を守れないと、スワップの金利が上がる仕組みでした1。FCA が方針を示した文書は、持続可能性の開示規則と投資商品の表示についての協議文書(CP22/20)です6。
ESG 連動のデリバティブは、取引ごとに作る相対の商品で、条件の公表された情報が少なく、流動性の低い商品でした1。また、業界で標準の雛形はなく、通常のデリバティブの契約書を土台に、KPI などの条件を足して作っていました2。
既存のデリバティブ規制の扱い
この節は、英国と EU の資料にもとづきます。
英国では、ESG 連動のデリバティブは、ほかの店頭デリバティブとほぼ同じに扱われていました。取引情報の報告やリスク軽減の義務も、英国で国内法にした版の EMIR(欧州市場インフラ規則)として同じように当たりました6。FCA の ESG に関する規則と指針は、デリバティブを特に対象にしていませんでした6。
欧州連合(EU)では、ESG の報告や開示の規則がどこまで当たるかに不確かさがありました1。この規則は、SFDR(金融サービス分野のサステナビリティ関連開示規則)と、タクソノミー規則(持続可能な投資を促す枠組みを定めた規則)です8。
目標の水準と検証をめぐる課題
課題の 1 つは、目標が実際の改善を求める水準かどうかです。グリーンウォッシュは、サステナビリティに関する説明や行動が、企業、金融商品、金融サービスの実際の姿を明確かつ公正に映していない行為で、投資家などを誤解させるおそれがあります9。ESG 連動のデリバティブでは、KPI が評価される側に意味のある上積みを求めていないときや、実績の確認が十分でないときに起こりえます2。
KPI の作り方に共通の形式がなく、KPI が一貫せず検証しにくいという懸念が出ていました。広く受け入れられた標準がないことが、グリーンウォッシュの余地を生むとも指摘されていました1。2021 年 9 月に ISDA が示した指針は、KPI の原則を、具体的で測定でき、検証できることなど 5 つにまとめています。5 つの内容は、法律事務所の解説にもとづきます10。ESG 格付けに連動させる場合は、格付けの方法が変わったり、格付けがなくなったりしたときの代わりの決め方を、契約に入れておくことがあります11。
もう 1 つの課題は、市場の形です。目標に連動する価格の部分は、取引ごとの条件で作られるため、ヘッジの手段が限られます。標準の雛形がなく、業種や地域で取り組みがばらつくと、市場が分かれて費用が増え、流動性が下がるおそれがあります12。
この記事が書いていないこと
日本での ESG 連動のデリバティブの扱いと、2023 年 5 月以降の標準化の動きは、この記事では扱いません。
注
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Hogan Lovells「Sustainability-linked derivatives: some practical considerations」(2021 年 11 月 12 日)の "What are SLDs?"、"What types of SLDs have been issued to date?"、"Regulatory requirements"。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8 ↩9 ↩10
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Addleshaw Goddard「An Overview of Sustainability-Linked Derivatives」(2023 年 5 月 26 日)の "What are sustainability-linked derivatives?"、"Documentation"、"Cashflows"、"Issues and risks"。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7
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Addleshaw Goddard(2023 年 5 月 26 日)の "ISDA's principles for sustainability-linked derivatives"。 ↩ ↩2
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Loan Market Association ほか「Sustainability-Linked Loan Principles」(2023 年 2 月版)の 3 ページ(PDF の 3 ページ)"Selection of KPIs" と、4 ページ(PDF の 4 ページ)"Verification"。 ↩
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Hogan Lovells「ESG derivatives: new tools unlocking capital in sustainable finance」(2021 年 1 月 13 日)の "Key products identified by ISDA"。ISDA の資料の要約。 ↩ ↩2
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Addleshaw Goddard(2023 年 5 月 26 日)の "Regulation"。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4
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ESMA「Progress Report on Greenwashing」(2023 年 5 月 31 日)の 3 章冒頭の 17 項(PDF の 12 ページ)。 ↩
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ESMA「Progress Report on Greenwashing」(2023 年 5 月 31 日)の略語一覧(PDF の 75 ページ)の "SFDR" と "TR" の行。SFDR は Regulation (EU) 2019/2088、タクソノミー規則は Regulation (EU) 2020/852。 ↩
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ESMA 同報告書の Executive summary(PDF の 4 ページ)。欧州の 3 つの監督機関(ESAs)が合意した、グリーンウォッシュの共通の理解。 ↩
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Addleshaw Goddard(2023 年 5 月 26 日)の "ISDA's principles for sustainability-linked derivatives"。5 つの原則は Specific、Measurable、Verifiable、Transparent、Suitable。 ↩
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Addleshaw Goddard(2023 年 5 月 26 日)の "Documentation" の "ESG ratings entities"。 ↩
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Addleshaw Goddard(2023 年 5 月 26 日)の "Issues and risks" の "Hedging" と "Market segmentation"。 ↩
-
Addleshaw Goddard(2023 年 5 月 26 日)の "Cashflows" の末尾。 ↩
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Hogan Lovells(2021 年 11 月 12 日)の "SLDs: practical documentation considerations" の "Margin requirements"。 ↩