江戸時代の堂島米会所で、米の代表的な銘柄を帳面の上で売買した帳合米商いは、どのように決済するのが原則でしたか。
理解度チェック: 起源と市場の発展
最終確認日: 2026年10月3日
下書きです。公開前の確認のために表示しています。
「起源と市場の発展」の章の内容を確かめる 6 問の問題です。選択肢を選んで「回答する」を押すと、正解と解説が出ます。「正解と解説」を開いて、先に答えを見ることもできます。
問 1
正解と解説
正解: C
帳合米商いは、取引のたびに米や代金を動かさず、帳簿の上で売買を記録し、差額で決済するのが原則でした。現物を受け渡すのは例外です。
米切手を売買する正米商いは、受け渡しが 4 日以内で、現物の受け渡しによる決済でした。2 つの市場を取り違えると、1 つ目の選択肢を選びやすくなります。満期に米切手と交換する決済や、現物を検査して精算する手続きは、帳合米商いの決済ではありません。
詳しくは: 堂島米会所
問 2
シカゴ商品取引所(CBOT)は、1925 年に清算会社を設けました。それ以前の清算所は、会員の決済を取りまとめていました。この清算所と比べて、清算会社が違っていた点は何ですか。
問 3
S&P 500 株価指数を対象にした先物が取引所で売買できるようになったのは、何があったからですか。
正解と解説
問 4
1973 年に発表されたブラックとショールズ、マートンの研究が示したのは何ですか。
正解と解説
正解: A
1973 年より前の値付けは、満期の時点でのオプションの値の期待値を現在に割り引く方法で、割り引く率にリスク・プレミアムが要りました。この上乗せ分は投資家のリスクへの姿勢を含むため、観測が難しいものでした。3 人は、株式とオプションを組み合わせてリスクのない持ち高をつくれることから、リスク・プレミアムを使う必要はないと示しました。リスク・プレミアムがなくなるわけではなく、すでに株価に含まれています。
金利をゼロとし、株価がマイナスになる動きを許す前提は、1900 年のバシュリエの式のもので、現実には合いませんでした。式に入れる値のうち、直接観測できないのはボラティリティだけです。リスクのない持ち高は、株価が小さく動く間につくれるもので、株価や残りの期間が変わると、組み合わせの比率も変える必要があります。
詳しくは: ブラック・ショールズの登場
問 5
1981 年に世界銀行と IBM が結んだ取引の背景は、どのようなものでしたか。
正解と解説
正解: B
当時のスイス・フランとドイツ・マルクの金利は、米ドルの金利のほぼ半分でした。世界銀行の借り手はこれらの通貨を求めましたが、両国の政府が世界銀行の借り入れ額を制限し、上限に達していました。IBM はこれらの通貨を大量に借りていて、米ドルを増やしたいと考えていました。ソロモン・ブラザーズの仲介で、IBM は借りていた通貨を世界銀行の米ドルと交換しました。世界銀行はこれを世界で初めての正式な通貨スワップとしています。
金利が低かったのは、米ドルでなくスイス・フランとドイツ・マルクです。借り入れを制限したのも、米国でなくスイスとドイツの政府でした。固定金利と変動金利の支払いを交換する金利スワップは、通貨スワップとは別の取引で、1985 年末までに世界銀行が実行していました。
詳しくは: スワップ市場と ISDA
問 6
2008 年 9 月に、リーマン・ブラザーズの複数の取引会社が破綻しました。法律事務所の 2009 年の解説は、多くの 1992 年版の ISDA マスター契約について、何が浮き彫りになったと述べていますか。
正解と解説
正解: A
1992 年版の多くは、相場の気配値を集めて支払額を算出する方式(Market Quotation)を求めていました。この方式が、市場が荒れているときに難しいことが、2008 年の破綻とその後の混乱で浮き彫りになりました。
一括清算ネッティングの条項は、1987 年版のマスター契約が初めて取り入れ、効力は世界で議論になりましたが、その後に法律が整えられました。署名までに間が空く問題は、標準化された契約書の動きで和らいだ可能性があるとされた、1987 年の法務面の懸念です。2008 年 8 月には、主要なディーラーのほぼすべてが、互いの 1992 年版を 2002 年版の清算金額の算出方法に改める合意を結んでいました。
詳しくは: スワップ市場と ISDA