オプションの値付けと持ち高の保護に式を使う取引者にとって、式の由来を説明する場面で役立つ歴史です。

何が起きたか

1973 年 5〜6 月号の Journal of Political Economy に、フィッシャー・ブラックとマイロン・ショールズの論文が載りました1。題は「The Pricing of Options and Corporate Liabilities」です。

論文は、オプションの理論価格を求める式を示しました。この式をブラック・ショールズ・モデルといいます。

同じ年の 4 月には、シカゴ・オプション取引所(CBOE)が開業しています2。

式の導出と使い方はブラック・ショールズ・モデルで扱います。

論文より前のオプションの値付け

オプションの価値を式で求める試みは、1900 年にさかのぼります。フランスの数学者ルイ・バシュリエが、ソルボンヌ大学の博士論文で株式オプションの価値を求めました。金利をゼロとし、株価がマイナスになる動きを許す前提だったため、現実には合いませんでした3。バシュリエの考え方は、現在はバシュリエ・モデルと呼ばれます4。

その後、ケース・スプレンクル、ジェームズ・ボネス、ポール・サミュエルソンが、式を改めました。株価がマイナスにならない動き(対数正規分布)を前提とし、ゼロでない金利を入れたのです。1964 年にボネスが示した式は、ブラックとショールズの式に近いものでした3。

それでも、1973 年より前の方法には共通の難点がありました。満期の時点でオプションがいくらになるかの期待値を求め、それを現在に割り引く方法です。割り引く率には、リスク・プレミアム(投資家がリスクを負う見返りとして求める上乗せ分)が要ります。この上乗せ分には投資家のリスクへの姿勢が含まれるため、観測するのが難しいものでした3。

経緯

1900 年バシュリエが博士論文でオプションの価値を求める1964 年ボネスが、ブラック・ショールズの式に近い式を示す1973 年4 月 26 日CBOE が開業する1973 年5〜6 月ブラックとショールズの論文が学術誌に載る1973 年マートンが論文で同じ式を示し、式を広げる1975 年までCBOE の取引者が、計算機で式を使い始める1987 年10 月 19 日株価が暴落し、株価指数オプションの価格の形が変わる1995 年8 月ブラックが亡くなる1997 年10 月 14 日マートンとショールズの受賞が決まる
図 1ブラック・ショールズの式が出るまでと、その後の主な節目
図の説明

オプションの価値を求める先行研究、式が世に出る年の CBOE の開業と論文の掲載、取引現場での利用、暴落、受賞の決定へと続く年表です。塗りの丸は、CBOE の開業と論文の掲載です。先行研究から式の登場までと、その後の出来事とでは、図の上の間隔が実際の長さと違います。

時期 出来事
1900 年 バシュリエが博士論文でオプションの価値を求める
1964 年 ボネスが、ブラック・ショールズの式に近い式を示す
1973 年 4 月 26 日 CBOE が開業する5
1973 年 5〜6 月 ブラックとショールズの論文が Journal of Political Economy に載る
1973 年 マートンが論文で同じ式を示し、式を広げる
1975 年まで CBOE の取引者が、計算機を使って式でオプションの値を求め始める
1987 年 10 月 19 日 株価が暴落し、株価指数オプションの価格の形が変わる6
1995 年 8 月 ブラックが亡くなる
1997 年 10 月 14 日 マートンとショールズの受賞が決まる

論文の考え方とマートンの寄与

ブラックとショールズ、マートンの 3 人の研究が答えたのは、リスク・プレミアムをどう決めるかという問題でした。3 人は、オプションを値付けするときにリスク・プレミアムを使う必要はないと示しました。リスク・プレミアムがなくなるわけではなく、すでに株価に含まれているためです7。

考え方の核は、株式とオプションを組み合わせると、株価が小さく動く間はリスクのない持ち高をつくれることです。持ち高に残るリスクがないなら、収益は無リスクの金利と同じになるはずで、そうでなければ裁定取引で確実なもうけが出ます。株価や残りの期間が変わると、組み合わせの比率も変える必要があります7。

ロバート・C・マートンは、ブラックとショールズが論文を書いている間に、同じオプションの評価を研究していました。ブラックは後に、マートンが「株かオプションを連続的に売買できるなら、両者の間に文字どおりリスクのない関係を保てる」と指摘したと書いています。論文の最終稿は、この導き方で式を示しました。マートンは同じ 1973 年に自分の論文でも式を示しました。市場の均衡を仮定しなくても、無裁定(裁定取引で確実にもうけられる機会がないこと)だけで評価できるとして、式を広げたのです8。

実務での使われ方

CBOE は論文が出る 1 か月前に開業しており、1975 年までには、取引者が式を使い、専用にプログラムした計算機で値付けと持ち高の守りを行っていました2。3 人は取引所の設立に直接は関わっていませんが、モデルは取引者に、勘でなく計算で値を求める手段を与えました9。1997 年の時点で、世界の市場で毎日数千人の取引者と投資家が式を使っていました2。

式に入れる値のうち、直接観測できないのはボラティリティだけです。そこで、オプションの価格が分かっているときは、式を逆に解いて、市場が見込むボラティリティを求められます10。こうして求めた値がインプライド・ボラティリティです。

式の前提のその後の緩和

式の最初の導き方には、やや制約のある前提がありました。その後の研究で、前提は緩められてきました。扱われてきたのは、金利やボラティリティが時間とともに確率的に変わる場合、価格に飛びがある場合、取引の費用がかかる場合です。いずれも、ブラック、マートン、ショールズが示した分析の方法(リスクのない持ち高をつくって評価する考え方)の上で扱われています11。

1987 年の株価暴落の後

1987 年 10 月 19 日の株価暴落の前は、株価指数オプションのインプライド・ボラティリティを並べた形が、比較的平らでした。並べる軸は行使価格です。暴落の後は、S&P 500 のプット・オプションのうち、満期が短く行使価格が現在の水準を大きく下回るものを、ブラック・ショールズの式が大きく低く見積もるようになりました。シカゴ連邦準備銀行(シカゴ連銀)の研究論文によると、この変化は長く続き、Rubinstein(1994 年)などが S&P 500 のオプションの価格でこの形を記録しています6。

暴落の後に現れた、行使価格によってインプライド・ボラティリティが違う形を、ボラティリティ・スマイルといいます12。見え方と評価の仕方はボラティリティ・スマイルとサーフェスで扱います。

1997 年のノーベル経済学賞

スウェーデン王立科学アカデミーは 1997 年 10 月 14 日に、同年のアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞(ノーベル経済学賞)を、マートン(ハーバード大学)とショールズ(スタンフォード大学)に贈ると決めました。理由は "a new method to determine the value of derivatives"(デリバティブの価値を求める新しい方法)です13。

アカデミーは、2 人が「故」フィッシャー・ブラックと協力して、株式オプションの評価のための式をつくったと説明しています13。ブラックは 1995 年 8 月に亡くなっており、授賞の決定は 2 人に対するものでした。

注

  1. Fischer Black and Myron Scholes, "The Pricing of Options and Corporate Liabilities", The Journal of Political Economy, Vol. 81, No. 3 (May-Jun. 1973), 637〜654 ページ。JSTOR の表紙の書誌。 ↩

  2. The Royal Swedish Academy of Sciences, "Advanced information"(1997 年 10 月 14 日)の "Practical importance"。CBOE の取引開始、1975 年までの計算機での利用、数千人が毎日使うことを述べた段落。 ↩ ↩2 ↩3

  3. The Royal Swedish Academy of Sciences, "Advanced information"(1997 年 10 月 14 日)の "The history of option valuation"。バシュリエの論文と前提、後の改良、1964 年のボネスの式、1973 年より前の方法の難点を述べた段落。 ↩ ↩2 ↩3

  4. 財務省(服部孝洋)「スワップション入門(モデル編)」(「ファイナンス」2021 年 10 月号)の 3 ページ。ノーマル・モデルがバシュリエ・モデルともいわれることが書かれている。 ↩

  5. Cboe Global Markets, "The Creation of Listed Options at Cboe" の "On April 26, 1973" で始まる段落。開業日は取引所の発展と同じ。 ↩

  6. Benzoni ほか, "Can Standard Preferences Explain the Prices of Out-of-the-Money S&P 500 Put Options?"(Federal Reserve Bank of Chicago, WP 2011-11)の "1 Introduction"(1 ページ、PDF の 4 ページ)。 ↩ ↩2

  7. The Royal Swedish Academy of Sciences, "Advanced information"(1997 年 10 月 14 日)の "The Black-Scholes formula"。リスク・プレミアムが要らないこと、株式とオプションでリスクのない持ち高をつくる考え方、裁定取引、持ち高を変え続ける必要を述べた段落。 ↩ ↩2

  8. 同じ "The Black-Scholes formula"。ブラックの論文 "How We Came Up with the Option Formula"(1989)からの引用と、マートンの 1973 年の論文 "Theory of Rational Option Pricing" が式を広げたことを述べた段落。 ↩

  9. Cboe Global Markets, "The Creation of Listed Options at Cboe" の "Black, Scholes and Merton weren't directly involved" を含む段落。 ↩

  10. The Royal Swedish Academy of Sciences, "Advanced information"(1997 年 10 月 14 日)の "The Black-Scholes formula" の式の後の段落。観測できないのはシグマだけで、市場のデータから見積もる必要があること。オプションの価格が分かれば、式から市場のシグマの見込みを求められること。 ↩ ↩2

  11. The Royal Swedish Academy of Sciences, "Advanced information"(1997 年 10 月 14 日)の "Pricing of derivatives" の第 2 段落。 ↩

  12. Martin Haugh, "Black-Scholes and the Volatility Surface"(Columbia University)の PDF の 4 ページ、"volatility surface" の節。行使価格が低いほどインプライド・ボラティリティが高くなる傾向を、満期を固定したときにボラティリティ・スキューまたはスマイルと呼ぶと述べている。 ↩

  13. The Royal Swedish Academy of Sciences, "The Prize in Economic Sciences 1997 - Press release"(1997 年 10 月 14 日)の冒頭の授賞の決定と、続く "pioneering formula" の文。ブラックの没年は Advanced information が 1995 年 8 月とする。 ↩ ↩2