価格付けやリスク管理の担当者は、評価モデルが出す価格の前提を検証するときに、無裁定と複製の考え方を使います。

同じ受け払いのものは同じ価格になる

元手なしで始めて、損をする可能性がなく利益を得られる取引を、裁定の機会といいます。そのような機会が市場にないことを無裁定といい、デリバティブの価格の理論は、この無裁定を出発点にしています12。無裁定が成り立つと、将来の受け払いがどの場合でも同じになる 2 つのものは、今の価格も同じになります。これを一物一価の法則といいます。価格が違えば、安い方を買って高い方を売れば利益が得られ、裁定の機会になるためです3。

1 年の無リスク金利(信用リスクなどのない金利)が年 2% の架空の例で考えます。資金は同じ金利で借りたり預けたりできるとします。1 年後に 1,020 円を確実に受け取れるものは、今 1,000 円を 2% で預けても作れます。そのため、1 年後に 1,020 円が償還される信用リスクのない割引債の価格は、1,000 円になります。この割引債が 990 円で売られていれば、990 円を借りて割引債を買います。1 年後に 1,020 円を受け取り、借入れの返済は 990 × 1.02 = 1,009.80 円なので、元手なしで 10.20 円が残ります。無裁定の理論では、このような機会はないものとして価格を考えます。確定した受け払いの価値を金利で割り引いて求める方法は、現在価値と割引係数で扱います。

複製の費用が商品の価格になる

値の分からない商品と、将来の受け払いがどの場合でも同じになる組み合わせを、価格の分かる商品の売買で作ることを複製といい、作った組み合わせを複製ポートフォリオといいます4。一物一価の法則から、無裁定の市場では、商品の価格は複製ポートフォリオの価格(組み合わせた商品の価格の合計)と一致します2。前の節の割引債は、1,000 円の預金で複製できたので、価格が 1,000 円になりました。複数の時点に受け払いのある債券も、時点ごとの割引債を集めれば複製できます5。

複製で価格を求める手順は、次の 3 つです。

  1. 値を求めたい商品の、将来の受け払いを場合ごとに書き出します。
  2. 価格の分かる商品(原資産、預金や借入れなど)を組み合わせて、どの場合でも同じ受け払いになる組み合わせを作ります。
  3. その組み合わせを今作るのに要る費用を合計します。

受け払いが金利だけで決まる割引債は預金で複製できましたが、将来の受け払いが原資産の価格で変わるデリバティブでは、原資産そのものを組み合わせに入れます。先渡取引を例に計算します。

計算例:株式の先渡価格を複製で求める

配当のない A 社の株式の、1 年後に受け渡す先渡取引の価格(先渡価格)は、株式の買いと資金の借入れで複製して求められます。A 社の株式の今の価格を 1,000 円、1 年の無リスク金利を年 2% とした架空の例で考えます。金利は 1 年ちょうどの単利で、割り引くときは 1.02 で割ります。取引の費用はかからず、株式を借りて売ること(空売り)もできるとします6。

先渡しの買いの満期の受け払いは、「満期の株価 − 先渡価格」です。これと同じ受け払いを、今 1,000 円を借りて株式を 1 株買う組み合わせで作ります。今の受け払いは、借りた 1,000 円と株式の代金 1,000 円で差し引き 0 円です。1 年後には株式を持っていて、借入れの返済に 1,000 × 1.02 = 1,020 円を払います。

満期の株価(円) 株式の価値(円) 借入れの返済(円) 組み合わせの合計(円)
900 900 −1,020 −120
1,000 1,000 −1,020 −20
1,100 1,100 −1,020 80

組み合わせの合計は、どの株価でも「満期の株価 − 1,020 円」です。これは、先渡価格 1,020 円の先渡しの買いと同じ受け払いです。先渡取引は結ぶときに代金の受け払いがなく、組み合わせを作る費用も 0 円なので、今の価値もそろいます。そのため、先渡価格は 1,020 円になります6。図 1 は、この組み合わせの合計を満期の株価ごとに描いたものです。

−300−200−1000+100+200+3001,020損益(円)満期の株価(円)利益損失損益分岐点 1,020
図 1株式の買いと借入れの組み合わせの満期の損益
図の説明

横軸は満期の株価、縦軸は株式を 1 株買い 1,000 円を借りた組み合わせの合計です。図の範囲は株価 800 円から 1,200 円です。線は「満期の株価 − 1,020 円」を表す右上がりの直線で、株価が 900 円なら −120 円、1,100 円なら 80 円になります。満期の株価が 1,020 円のとき損益は 0 円になり、図には「損益分岐点 1,020」と出ます。実際の組み合わせは 1,000 円で買った株式と借入れで、先渡価格 1,020 円の先渡しの買いと同じ線なので、組み合わせを作る費用と先渡しの価値は一致します。

先渡価格=今の株価×(1+金利)=1,000×1.02=1,020\text{先渡価格} = \text{今の株価} \times (1 + \text{金利}) = 1{,}000 \times 1.02 = 1{,}020

満期の株価の予想や、株価が上がる確率は計算に出てきません。組み合わせの受け払いが、どの株価でも先渡しと一致するためです。

先渡価格がずれたときの裁定の手順

先渡価格が 1,020 円からずれると、割高な側を売って割安な側を買う裁定取引で、満期の株価によらない利益を確定できます6。前の節と同じ条件で、先渡価格が 1,050 円のときは、先渡しが株式と借入れの組み合わせより割高です。このときは、先渡しを 1,050 円で売り、1,000 円を借りて株式を 1 株買います。今の受け払いは差し引き 0 円です。

満期の株価(円) 先渡しの売り(円) 株式の価値(円) 借入れの返済(円) 合計(円)
900 150 900 −1,020 30
1,100 −50 1,100 −1,020 30

満期には、持っている株式を先渡しの買い手に渡して 1,050 円を受け取り、そこから借入れの 1,020 円を返します。株価が 900 円でも 1,100 円でも、30 円が残ります。先渡価格が 1,000 円で割安なときは、逆の取引をします。株式を借りて 1,000 円で売り、代金を 2% で預け、先渡しを 1,000 円で買います。満期には預金が 1,020 円になり、先渡しで 1,000 円を払って受け取った株式を貸し手に返すので、株価によらず 20 円が残ります6。

この計算は、売買の手数料や株式を借りる費用を含めていません。

複製の考え方を使う計算

複製は、先渡取引のほかにも、価格の関係を導く計算やオプションの評価の土台になっています。コール・オプションとプット・オプションの価格の関係も、複製から導けます。同じ原資産、行使価格、満期のヨーロピアン・オプション(満期にだけ行使できるオプション)では、2 つの組み合わせの満期の受け払いが同じになるためです。この関係がプット・コール・パリティです。為替の先物相場も、2 つの通貨の預金と直物の為替取引で複製して求められます。

オプションも、原資産と資金の貸し借り(預金や借入れ)を組み合わせて複製できます。期末の原資産の価格が 2 通りだけのモデル(二項モデル)では、期末の受け払いがオプションと一致するように、原資産の量と預ける(借りる)金額を決められます。そうして求めた価格は、原資産の価格が上がる確率によらずに決まります7。この計算は二項モデルで扱います。

二項モデルの計算には、原資産の 2 つの価格と金利から決まる確率(リスク中立確率)が出てきます。この確率で受け払いの期待値をとり、金利で割り引く見方をリスク中立評価といいます7。ブラック・ショールズ・モデルでは、原資産の価格が連続して動き、原資産と資金の持ち高を絶えず組み替えてオプションを複製します8。

無裁定で価格が決まらない場面

実際の市場では、無裁定が厳密には成り立ちません。取引の費用や、会計と税制などの制度による「摩擦」があるためです9。無裁定を使う価格の理論は、この摩擦の影響が小さいとみなしたうえで組み立てています9。先渡価格の例でも、売買の手数料などの費用の合計が 30 円を上回ると、先渡価格が 1,050 円でも裁定で利益は残りません。

空売りができないときも、決まる範囲が変わります。先渡価格が割高なときの裁定(株式を買って先渡しを売る)はできますが、割安なときの裁定には株式の空売りが要ります。そのため、空売りができない原資産では、無裁定から言えるのは「先渡価格は 1,020 円以下」という上限だけです10。品不足のコモディティや、持ち主が貸したがらない商品のように、原資産を借りられない場合が当たります10。

複製に使う商品が市場にないときは、複製だけでは価格が決まりません。受け払いが決まった債券でも、途中の時点の割引債が取引されていなければ、その時点の受け払いは複製できません。その場合は、モデルで推定したリスクの上乗せ(リスクプレミアム)を織り込んで、受け払いを割り引きます11。

注

  1. 重川一郎「数理ファイナンス入門」(京都大学、2009 年の愛媛大学理学部集中講義)の「無裁定条件」(4 ページ)。資料は、元手 0 から出発して正の利得を得る取引を裁定取引(裁定機会)と呼び、そのような取引が存在しないことを無裁定条件と呼んでいます。 ↩

  2. 小田信之「信用リスクを反映した金融商品のプライシング」(日本銀行金融研究所「金融研究」1999 年 3 月)の「(1)プライシングの基本」と注 4(68 ページ)。資料は無裁定条件を、リスクをとることなく利益を稼ぐことはできないという命題と説明し、この条件の下で、ある取引と同じキャッシュフローを持つポートフォリオの市場価格が、その取引の市場価格と一致しなければならないとしています。 ↩ ↩2

  3. 重川一郎「数理ファイナンス入門」の命題 2.7 の直前の段落(20 ページ)。 ↩

  4. 重川一郎「数理ファイナンス入門」の「ポートフォリオ」(5 ページ)。資料は、満期の価値がオプションの受け払いに等しくなるようにポートフォリオを組むことを複製(duplication)と呼んでいます。 ↩

  5. 小田信之「信用リスクを反映した金融商品のプライシング」の「(1)プライシングの基本」の、レプリケーション法の具体例の段落(70 ページ)。資料は、満期の違う割引債を受け払いの額だけ集めたポートフォリオが、新たに発行する債券と同じキャッシュフローを持ち、複製の関係にあるとしています。 ↩

  6. Martin Haugh「Forwards, Swaps, Futures and Options」(Columbia University)の 1 章の Definition 1 に続く段落(1 ページ)と、1.1 の式 (1)、その証明、注 3(2 ページ)。資料の式 F = S/d(0,T) の割引係数 d(0,T) が、本文の 1 ÷ 1.02 にあたります。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4

  7. Martin Haugh「Forwards, Swaps, Futures and Options」(Columbia University)の 4 章の 1 期間の二項モデルの複製ポートフォリオと "the price of the derivative does not depend on p!"(13 ページ)。 ↩ ↩2

  8. Martin Haugh「A Brief Review of Derivatives Pricing & Hedging」(Columbia University)の 5 章 "Delta Hedging" の 1 段落目と注 15(18 ページ)。 ↩

  9. 小田信之「信用リスクを反映した金融商品のプライシング」の「(1)プライシングの基本」の、レプリケーション法の具体例に続く「ところで実際の市場では」で始まる段落(70 ページ)。 ↩ ↩2 ↩3

  10. Martin Haugh「Forwards, Swaps, Futures and Options」(Columbia University)の 1.3 "Tight Markets" の式 (4)(3 ページ)。 ↩ ↩2

  11. 小田信之「信用リスクを反映した金融商品のプライシング」の、市場の完備性が成り立たないケース(割引債の一部が流通していない場合)の段落(70 ページ)と、「(1)プライシングの基本」の 2 段落目(68 ページ。市場が完備でないため、モデルで推定したリスクプレミアムを使ってキャッシュフローを割り引く必要があるとしています)。 ↩ ↩2