この事件では、同じ量をヘッジする方針と、先物の損失を現金で払う資金繰りが、原因として論じられました。リスク管理と財務の担当者は、ヘッジの設計と資金繰りがどう関わるかを、この事件の経過から読めます。
何が起きたか
ドイツの企業グループのメタルゲゼルシャフト(MG)の米国の子会社 MG Refining and Marketing(MGRM)は、精製した石油製品を、長期の固定価格で顧客に売る事業を営んでいました。1993 年 12 月に、MG は、この石油の事業で大きな損失を出し、事実上、破綻の状態になりました。1993 年のデリバティブの損失は、ケルン大学の論文(以下「論文」)で、12 億 5,000 万ドル(当時のレートで約 20 億ドイツ・マルク)と報告されています。そのうち 8 億ドルを超える分は、第 4 四半期に実現しました(損が確定しました)。この額の出どころは、MG の特別監査報告書(1995 年)です1。
前段の額は、1993 年のデリバティブの損失として報告された値です。これとは別に、MG の主要な取引銀行(ドイツ銀行)の担当者は、石油の事業から生じる貸借対照表の損失(帳簿上の損失の見込み)が、合計で約 40 億ドイツ・マルクになる見込みだと説明しました。2 つは数字の種類が違います。大手銀行の団が大規模な救済に入らなければ、MG は破産を申請する状況でした1。
取引の仕組みと経緯
MGRM は精製した石油製品を長期の固定価格で売るため、引き渡す期間の価格の変動に備える必要がありました。ところが、長期のヘッジの手段は市場に十分にありませんでした2。
MGRM は 1991 年に、顧客に長期の店頭契約(取引所を通さず、相手と直接結ぶ契約)を売り始めました。精製した石油製品を、毎月、あらかじめ決めた価格で、5 年か 10 年にわたって引き渡す契約です。価格は、契約時点で向こう 12 か月の先物の価格をもとに決め、1 ガロンあたり 5〜10 セントの上乗せ(利幅)を足しました3。
MGRM のリスク管理の方針は、投機の取引や、片側だけの持ち高を持つことを禁じていました。そこで、期間の短い先物と店頭のスワップで、引き渡す量と同じ量をヘッジし、満期が来るたびに同じ取引を繰り返して先へ送りました(積み上げ型のヘッジ)2。ヘッジに使う先物は、担当のトレーダーがガソリン、暖房用の油、原油のどれからでも選べました2。契約の量は 1993 年に大きく増えました。増えたのは、先物の価格が、満期が近いもの(期近)より遠いもの(期先)で高いコンタンゴの夏でした4。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1991 年 | MGRM が長期の店頭契約の販売を始めた3 |
| 1993 年の夏から 9 月 | 市場がコンタンゴの間に契約の量が大きく増え、9 月に長期の引き渡し契約の量が年初の 3 倍超になり、年末まで同じ水準が続いた4 |
| 1993 年 12 月 | 店頭契約の取引相手が、スワップの期間の延長に応じなかった5 |
| 1993 年 12 月 | ニューヨーク商品取引所(NYMEX)がヘッジ取引への例外の扱いを停止して、持ち高の上限を下げた。MGRM は、デリバティブの持ち高を減らす必要に迫られた5 |
| 1993 年 12 月〜1994 年 2 月 | MG の説明では、顧客との引き渡し契約とヘッジを同時に減らし、1994 年 2 月までに 1 億 900 万バレルまで縮めた6 |
| 同じ期間(別の見方) | ヘッジを先に全部清算したという見方もあり、論文の時点では決着していなかった6 |
| その後 | MG は、引き渡す量と同じ量をヘッジする方針をやめた6 |
先物の基本は先渡しと先物で扱います。
原因をめぐる見方の違い
MGRM のヘッジが適切だったかは、研究者の間で見方が分かれています。引き渡す量に対するヘッジの量の割合をヘッジ比率といい、引き渡す量と同じ量を先物でヘッジする方針は、ヘッジ比率が 1 の「1 対 1 のヘッジ」です。
見方は 2 つあります。一方の見方では、1 対 1 のヘッジは教科書どおりの堅実な戦略です。MG の監査役会と取引銀行が理解していなかっただけだと考えます。もう一方の見方では、MGRM の事業に対してヘッジが大きすぎ、石油の価格の変動を減らすどころか増やしました。後者は、価格の変動を最も小さくするヘッジ比率(最小分散ヘッジ比率)は 0.5 未満だったと主張します7。
2 つの見方の違いは、どの期間でリスクを測るかで説明できます。短い期間で測ると、適切なヘッジ比率は下がります。契約の全期間で測ると、1 対 1 のヘッジが有効になります。
短期のリスクを測る場合でも、1 対 1 のヘッジに石油価格のリスクを大きく減らす余地がありました。論文の試算では、引き渡す製品をガソリンと暖房用の油とみなし、それとは別の商品である原油の先物で備える方法(クロス・ヘッジ)を使えば、そうなります。ただし、1 対 1 という方針だけでは使う商品が決まらず、選び方によっては短期のリスクがヘッジなしの場合より大きくなりえました8。
3 つ目の見方は、本当のリスクは価格ではなく資金繰りだというものです。石油の価格が下がると、ヘッジの先物は損になり、その損は現金で払います。一方、顧客との引き渡し契約の益は、まだ実現していない益(含み益)で、現金になっていません。現金の損は、この含み益でしか埋め合わせられないため、ヘッジの運用は現金が十分に使えるときしか続けられません9。
論文は、MG が主要な取引銀行と強い関係を持っていたため、担保になる含み益があるかぎり資金は借りられたはずだと見ています。より大きな危険は、1 対 1 のヘッジが、一時的な短期の損失で自己資本(会社が自分で出した資金)を失う可能性を非常に高くしたことだとされます9。
その後に変わったこと
MG は、1993 年末の清算のあと、1 対 1 のヘッジの方針を捨てました6。事件を受けた制度の変更は、この記事では扱いません。
注
-
Mark Wahrenburg「Hedging Oil Price Risk: Lessons from Metallgesellschaft」(ケルン大学)の 2 ページ「1 Introduction」と脚注 1。約 40 億マルクの見込みはドイツ銀行の担当者の説明で、12 億 5,000 万ドルの出どころは MG の特別監査報告書(1995 年)の 58 ページです。 ↩ ↩2
-
論文の 3 ページ。リスク管理の方針(投機と片側の持ち高の禁止)、積み上げ型のヘッジ、先物の選択肢(ガソリン、暖房用の油、原油)、長期のヘッジ手段が十分になかったことの記述です。 ↩ ↩2 ↩3
-
論文の 3 ページ「2 The Oil Business of MGRM」。販売の開始は 1991 年、期間は 5 年か 10 年(少数は 2 年)、価格は先物の価格に 1 ガロンあたり 5〜10 セントを足したものです。 ↩ ↩2
-
論文の 3 ページと 13 ページ。契約の量は 9 月までに 3 倍を超えて年末の清算の開始まで同じ水準が続き、大きく増えたのはコンタンゴの夏です。 ↩ ↩2
-
論文の 4 ページ。取引相手がスワップの延長を拒み、NYMEX がヘッジの例外の資格を停止して持ち高の上限を下げた、という記述です。 ↩ ↩2
-
論文の 4 ページ。MG の説明は 1994 年 2 月までの 1 億 900 万バレルへの同時の縮小、Culp と Miller は先にヘッジ全体を清算したと主張、清算のあと MG は 1 対 1 のヘッジを捨てた、という内容です。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4
-
論文の 2 ページ。Culp、Hanke、Miller の見方と、Edwards と Canter、Mello と Parsons、Ross の見方(最小分散ヘッジ比率は 0.5 未満)です。 ↩
-
論文の 1 ページ(概要)、4 ページ、15 ページ(試算の仮定は、ガソリンと暖房用の油の引き渡し契約)、17〜18 ページ。 ↩
-
論文の 13 ページの注 31。Mello と Parsons は本当のリスクを資金繰りと見て、論文は取引銀行が貸したはずで、より大きな危険は自己資本を失う可能性と見ています。 ↩ ↩2